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ヨブ記に「誕生祝い」は記されていますか?

 ものみの塔聖書冊子協会は、誕生日を祝うことは聖書に反することだと教えています。一方、聖書のヨブ記1:4に、誕生祝いのことが書かれているではないかという反論も聞きます。誕生日を祝うことの是非はともかく、ヨブ記が誕生祝いを記録しているのかどうかについて独自に調べてみました。

 ものみの塔協会発行の『聖書に対する洞察』の「誕生日」の項や、さまざまな聖書翻訳はどう書いているでしょうか。まずは、問題個所を新改訳聖書から引用してみます。

 新改訳

1:4 彼の息子たちは互いに行き来し、それぞれ自分の日に、その家で祝宴を開き、人をやって彼らの三人の姉妹も招き、彼らといっしょに飲み食いするのを常としていた。1:5 こうして祝宴の日が一巡すると、ヨブは彼らを呼び寄せ、聖別することにしていた。彼は翌朝早く、彼らひとりひとりのために、それぞれの全焼のいけにえをささげた。ヨブは、「私の息子たちが、あるいは罪を犯し、心の中で神をのろったかもしれない。」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた。

3:1 その後、ヨブは口を開いて自分の生まれた日をのろった。3:2 ヨブは声を出して言った。3:3 私の生まれた日は滅びうせよ。「男の子が胎に宿った。」と言ったその夜も。

3章1節は、確かに誕生日に言及していますが、1章4節の「それぞれ自分の日に開いた祝宴」とは誕生パーティーなのでしょうか。この点の説明が、新改訳聖書の書籍版、解説には次のようにありました。

書籍版
解説
 1:4― 家族の親密な交わりの描写。
 自分の日に― 七人の息子が一週間を分担した。つまり毎日が喜びの日であった。

この同じ部分は、他のさまざまな翻訳ではどうなっているでしょうか。手持ちの聖書をすべて調べてみました。

 新共同訳

1:4 息子たちはそれぞれ順番に、自分の家で宴会の用意をし、三人の姉妹も招いて食事をすることにしていた。1:5 この宴会が一巡りするごとに、ヨブは息子たちを呼び寄せて聖別し、朝早くから彼らの数に相当するいけにえをささげた。「息子たちが罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにした。

3:1 やがてヨブは口を開き、自分の生まれた日を呪って、3:2 言った。3:3 わたしの生まれた日は消えうせよ。男の子をみごもったことを告げた夜も。

 バルバロ訳

1:4 息子たちはそれぞれの日に各自の家で催されるに集まり、三人の娘も招いてともに飲み食いする習慣だった。1:5 宴がひとまわり終わると、ヨブは彼らを呼び寄せて清めを行い、翌朝早く起きて一人一人のためにいけにえをささげた。ヨブは、「息子たちは罪を犯し、心のなかで神をのろったかもしれぬから」と言った。ヨブはいつもこんなふうに行っていた。

3:1そののちヨブは口を開き、自分の日をのろい、3:2こう話し始めた。3:3「私の生まれた日は消え失せよ、(男の子が胎にやどった)と告げたその夜も。

 口語訳

1:4 そのむすこたちは、めいめい自分の日に、自分の家でふるまいを設け、その三人の姉妹をも招いて一緒に食い飲みするのを常とした。1:5 そのふるまいの日がひとめぐり終るごとに、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別し、朝早く起きて、彼らすべての数にしたがって燔祭をささげた。これはヨブが「わたしのむすこたちは、ことによったら罪を犯し、その心に神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつも、このように行った。

3:1 この後、ヨブは口を開いて、自分の生れた日をのろった。3:2 すなわちヨブは言った、3:3 「わたしの生れた日は滅びうせよ。『男の子が、胎にやどった』と言った夜も/そのようになれ。

 新世界訳

1:4 そして,その息子たちは行って,自分の日に各々の家で宴会を催し,人をやって,その三人の姉妹をも招いて一緒に食べたり飲んだりした。1:5 そして,宴会の日が一回り巡ると,ヨブは人をやって,彼らを神聖なものとするのであった。彼は朝早く起きて,彼らすべての数にしたがって焼燔の犠牲をささげた。これは,ヨブが,「もしかすると,わたしの息子たちは罪をおかし,その心の中で神をのろったかもしれない」と言ったからである。ヨブはいつもこのようにするのであった。

3:1 ヨブが口を開いて自分の日に災いを呼び求めたのは,その後のことであった。3:2 さてヨブは答えて言った,3:3 「わたしの生まれた日は滅びうせるように。また,『強健な者が宿された!』と,だれかの言ったその夜も。

1:18 このほかの人がなお話しているうちに,さらにほかの人が来て,言った,「あなたのご子息や娘さんたちは,長子であるそのご兄弟の家で食べたり,ぶどう酒を飲んだりしておられました。1:19すると,どうでしょう,荒野の地方から大風が吹いて来て,家の四隅を打ったため,それが若い人たちの上に倒れて,皆さまは死なれました。そして,私が,ただ私ひとりが,どうにか逃げましたので,あなたにお知らせ致します」。

 新世界訳(英語)

1:4 And his sons went and held a banquet at the house of each one on his own day; and they sent and invited their three sisters to eat and drink with them. 1:5 And it would occur that when the banquet days had gone round the circuit,

3:1 It was after this that Job opened his mouth and began to call down evil upon his day. 3:2 Job now answered and said: 3:3 “Let the day perish on which I came to be born,Also the night that someone said, ‘An able-bodied man has been conceived!’

  NKJV( New King James Version Bible) 英国欽定訳 改訂版

1:4 And his sons would go and feast in their houses, each on his appointed day, and would send and invite their three sisters to eat and drink with them. 1:5 So it was, when the days of feasting had run their course,that Job would send and sanctify them, and he would rise early in the morning and offer burnt offerings according to the number of them all. For Job said, "It may be that my sons have sinned and cursed God in their hearts." Thus Job did regularly.

3:1 After this Job opened his mouth and cursed the day of his birth. 3:2 And Job spoke, and said: 3:3 "May the day perish on which I was born,And the night in which it was said,'A male child is conceived.'

  King James Version 欽定訳 (ものみの塔協会発行)

1:4And his sons went and feasted in their houses, every one his day: and sent and called for their three sisters to eat and to drink with them.

3:1After this opened Job his mouth , and cursed his day. 3:2And Job spake , and said , 3:3 Let the day perish wherein I was born , and the night in which it was said , There is a man child conceived.

 TEV(Todays English Version Bible)現代英語訳聖書

1:4 Job's sons used to take turns giving a feast, to which all the others would come, and they always invited their three sisters to join them. 1:5 The morning after each feast, Job would get up early and offer sacrifices for each of his children in order to purify them. He always did this because he thought that one of them might have sinned by insulting God unintentionally.

3:1 Finally Job broke the silence and cursed the day on which he had been born. 3:2 Job 3:3 O God, put a curse on the day I was born; /put a curse on the night when I was conceived!

 TEVはものみの塔協会では「今日の英語訳」と訳しています。「現代英語聖書」「現代英語の聖書」「現代英語による聖書」と、その都度いろいろな訳し方をしている、『The Contemporary English Version』とは別です。

 AMERICAN STANDARD VERSION (アメリカ標準訳:ものみの塔協会発行)

1:4 And his sons went and held a feast in the house of each one upon his day; and they sent and called for their three sisters to eat and to drink with them. 1:5 and it was so, when the days of their feasting were gone about ,that Job sent and sanctified them, and rose up early in the morning, and offerdburnt-offerings according to the number of them all: for Job said, It may be that my sons have sinned, and renounced God in ther hearts. Thus did Job continually.

3:1 After this opened Job his mouth , and cursed his day. 3:2 And Job answered and said:  3:3 Let the day perish wherein I was born , And the night which said ,  There is a man-child conceived.


 ヨブ記1:4と3:1には、同じ「自分の日」という言葉がありますが、1章に関しては「宴会」「ふるまい」とあるだけでそれが誕生日であることは示唆されていません。特に新共同訳では「それぞれ順番に…」とあるように、息子たちが交代でもてなしをしていて、娘たちは招かれているだけです。

 また「祝宴の日が一巡すると」、ヨブは息子たちが何か罪を犯しているかもしれないと、許しのためのいけにえを捧げます。ヨブは息子たちの言動を見てはいないことからして、いつも宴会の場にはいないようです。さらに1:18,19で、宴会中に大風が吹いて家が倒れ、息子や娘が全員死にますが、その場にヨブと妻はいませんでした。子供の誕生を最も喜ぶのは、ふつう両親ですから、これが誕生パーティーだとしたら、親が出席していないないことは少しおかしいですね。

 さらに、新共同訳の「宴会が一巡したときにヨブがいけにえを捧げる」いうことと、新改訳の解説文、「七人の息子が一週間を分担した。つまり毎日が喜びの日であった」という言葉から考えられるのは、7人の息子たちが1週間の間、交代でそれぞれの割り当ての日に娘たちも招いて宴会を催したということではないでしょうか。

 ヘブライ語聖書

以下では、ヘブライ語の原文を画像で確認できます。左上の枠が、右から左へ書かれているヘブライ語、その下は各種翻訳、右側はそれぞれのヘブライ語の意味です。

ヨブ1:4ヨブ3:1ヨブ3:3創世記40:20ヘブル語[日]ヘブル語[生まれる]

次は、ものみの塔協会のヨブ記1:4を含めた誕生日に関する見解です。上のヘブライ語の原文と比較しながら、ご覧いただけると思います。

 *** 洞察-2 P.176 誕生日 ***

 ヨブの息子たちは『自分の日に各々の家で宴会を催した』時,自分たちの誕生日を祝っていたのだと考えるべきではありません。(ヨブ 1:4)この節の「」は,ヘブライ語ヨームを訳したもので,日の出から日没までの時間帯を指しています。一方,「誕生日」は,ヨーム(日)とフッレデトという二つのヘブライ語から成る複合語です。「日」と人の誕生日とが区別されていることは,その両方の表現が出て来る創世記 40章20節で認められるでしょう。そこには,「さて,三日[ヨーム]目はファラオの誕生日[字義,「ファラオの誕生(フッレデト)の日(ヨーム)」]であった」とあります。それで,創世記 40章20節の場合に疑いなくそうであるように,ヨブ 1章4節が誕生日のことを述べていないのは確かです。どうやらヨブの7人の息子たちは家族の集まり(春の祭りまたは収穫の祭りかもしれない)を催し,その宴が1週間で一巡する際,各々の息子が「自分の日に」自分の家で宴会の主人役を務めたものと思われます。

 キリスト教が導入されても,誕生日の祝いに対する見方は変わりませんでした。イエスは,「わたしの記念としてこれを行ないつづけなさい」と述べて,ご自分の誕生ではなく死の記念式を開始し,これを義務づけられました。(ルカ 22:19)初期クリスチャンは,自分たちの救い主の誕生日を祝ったり記念したりしなかったのであれば,まして自分の誕生日を祝うようなことはしなかったでしょう。歴史家のオーガスタス・ネアンダーは,「誕生日の祭りという概念は,この時期のクリスチャンの観念からはかけ離れたものであった」と書いています。(「初期3世紀間のキリスト教と教会の歴史」,H・J・ローズ訳,1848年,190ページ)「オリゲネス[西暦3世紀の著述家]は……『聖書中のすべての聖なる人々の中で,自分の誕生日に祝宴を挙げたり,大宴会を催したりしたと記録されている人は一人もいない。自分がこの下界に生まれ出た日を大いに喜ぶのはただ(ファラオやヘロデのような)罪人だけである』と主張して」います。―カトリック百科事典,1913年,第10巻,709ページ。

 ですから,誕生日の祝いの起源は明らかにヘブライ語聖書の中にもギリシャ語聖書の中にも見られません。その上,マクリントクおよびストロング共編「百科事典」(1882年,第1巻,817ページ)には,ユダヤ人は「誕生日の祝いを偶像礼拝の一部とみなし……たが,これは多分,誕生日が当人の生まれた日の守護神とみなされた者たちのために偶像礼拝的な儀式をもって祝われたためと思われる」と述べられています。

ヨブ記1:4節の日が誕生日ではないという、ものみの塔の説明は間違ってはいないように思えます。他の引用については、正確かどうか残念ながら確認できていませんが、平凡社の世界大百科事典の「誕生日」の項には次の記述がありました。

 世界大百科事典[誕生日]

キリスト教の殉教者は死んだ日が誕生日として祝われる。死によって彼らは永遠の生命をもつものとして誕生すると考えられているからである。しかしバプテスマのヨハネと聖母マリアは原罪を免れているので出生の日を誕生日とする。

結論:ヨブ記が誕生日に言及しているにしてもいないにしても、人の誕生を祝うこと、愛する人が生まれてきてくれたことを喜ぶこと、それ自体は、人間としてごくごく自然な感情であることに、間違いはないのではないでしょうか。


(c)sumire 作成日: 2004-05-04 改訂:2005-10-31   バビロン捕囚の70年へ